
日野光里〈Hino Hikari〉
◆子供が2歳のときにパートを始めて6年勤めた後にマンガやゲームのシナリオライターとして独立し、現在は専業主夫家庭の大黒柱。
◆著作/ソフトバンククリエイティブ社刊「ホームズ・ツインズ!」九天社「マチともの語り」など。
◆新作ゲームはケータイアプリ「ヒルズの恋人」、【モット恋愛主義】にて配信の「レスQ」
◆産業カウンセラー、THP心理相談員、キャリアコンサルタント資格を有し、働き方の講演なども行う。
再就職への道
お母さんになった瞬間に、やりたい仕事からやれる仕事へとシフトした人は多いと思います。もっと言えば、外へ働きに出ること自体を諦める人も多いです。
女性の働く統計を取る時に出るM字曲線を見ても、出産育児をきっかけに働き方の転換を余儀なくされた人がたくさんいることがわかります。
仕事を探す時、職種よりも勤務時間を基準にして探すことってありませんか?
能力を認められても、やりたい仕事を提示されても、ひとりで働いていた時のように自由に職種を選択するわけにはいかなくなってくるのです。
私も同じ立場に立たされました。提示された仕事はやりたい仕事ではありましたが、残業が多く子供の預け先がありません。当然、やりたい仕事でも諦めるという選択しかできない!と、なるところでした。
ところが当時、うちの親は子供を預かってあげると言いだしたのです。そう言ってはくれましたが、それは完全別居を前提での預かるでした。親は県外に住んでいるので、週末だけ私が実家に帰るというスタイルを提案されたというわけで。
ここで、大きな選択を迫られます。中には、そういうスタイルで実際に起業して会社を大きくしている人もいます。うちはそういう大きなことではなくて、単純に私が働かないと、旦那の稼ぎだけではどうしようもないところに来ていたというだけなのですが・・・・。結構悲愴です。
ちなみに「子供と離れて暮らすのは嫌だから、暮らせるような収入のところで働いてよ」という願いは旦那に却下されていたので、自分でどうにかするという方法しかありません。
まあ、あてにしないと思えば、そこでいつまでもモメずにすむので、早々に旦那をどうにかするのは諦めました。人は変えられないけど、自分は変えられるということで、どうするかを必死に模索!
その結果、私は働くために子供と離れて暮らすという選択肢はどうしても取れませんでした。それで、やりたい仕事ではあるけれど残業がバリバリにある仕事は諦めて、短時間パートのほうを選んだわけです。
もちろん、パートだけでどうにかなるのなら、出稼ぎ提案がされるわけありません。それだけでは追いつかないので、私は当時からWワークとしての在宅仕事を始めて、その後現在のように独立するのですけどね。
子供と一緒に暮らすための働くスタイルを一生懸命に考えていました。私の場合の働く基本原点はそこです。もちろん働くという実があれば、やりたい仕事や自己実現などの膜はたくさんついてます。
でも、その膜をひたすら剥いて剥いていくと、家族で一緒に暮らしたいというとてもささやかな願いに行き着きました。
しかも、その願いを持っているのは私なので、私がどうにかするしかないと納得しています。誰かに叶えてもらうものではなくて、自分で叶えなければならないものという認識だったんですね。旦那が頑張るのを待つよりもよっぽど話が早いです。
だから選択肢がなかったわけではなく、ふたつ掲げられてどちらを選ぶかを迫られ、能動的に選択しました。そのおかげで後々
「これは私の選んだことだから」
という覚悟ができたともいえます。
環境のせいにせず、旦那のせいにせず、楽しく働いてこれたのは、最終的には自分で選択したことだからという気持ちが強かったから。
誰かや何かのせいにするってことは、実はとても自分が苦しいんですよね。でも、自分で選んだという肝さえ据わっていれば、とても前向きに考えられます。
前向きに考えられたので継続してやりたい仕事への模索も続けていけました。そして、結果として腐らずにこつこつとパートをしながらも実績を積むこともでき、今はやりたい仕事へとまた戻って来れたのです。
(投稿日 : 2008/6/16(月) 16:49 日野光里.)
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