
日野光里〈Hino Hikari〉
◆子供が2歳のときにパートを始めて6年勤めた後にマンガやゲームのシナリオライターとして独立し、現在は専業主夫家庭の大黒柱。
◆著作/ソフトバンククリエイティブ社刊「ホームズ・ツインズ!」九天社「マチともの語り」など。
◆新作ゲームはケータイアプリ「ヒルズの恋人」、【モット恋愛主義】にて配信の「レスQ」
◆産業カウンセラー、THP心理相談員、キャリアコンサルタント資格を有し、働き方の講演なども行う。
再就職への道
子供が小さい頃におびえたことの一つといえば、インフルエンザや麻疹などの
「人にうつるからしばらくは保育園に来ないでね系」
の病気でした。
大体、1週間くらいのスパンで仕事調整をしていたので、週に2、3日休んでも残りの2、3日で仕事を取り返すようにしていたのですが、まるまる1週間休みとなると結構きついです。
これが兄弟児だともっと悲惨。時間差で罹患したりすると、2週間まるまる休みということがあります。実際、何人かそういう人が職場にいました。
(こういうことも関係して働けない確率が高くなるからという理由でひとりしか産まずに少子化が進むということも現場では起こっています)
6年間、とても楽しく勤めていた職場ですが、一度だけ
「辞めたほうがいいんじゃないか」
と思ったことがありました。
それが、肺炎を起こして私が入院した時です。
ひと月の入院を告げられ、私はお先真っ暗な気分。何よりも、直の上司と係長とパートの私しかいない3人の部署ではひとり欠けるのは大変な痛手です。
「ひと月も休むくらいなら、誰か別の人をすぐに雇ってもらって、私は身を引いたほうが部署のためではないだろうか?」
呼吸器をつけられたベッドの上で、私は職場が気になってしかたありませんでした。とにかく迷惑をかけたくないという思いが強く、本当に辞職を考えていたのです。
ところが入院した最初の週末には、部署の上司2人とその上の上長という3人で県外の病院までお見舞いに来てくれました。(実家近くの病院に入院したのです)会社からのお見舞い金とパート仲間からのお見舞いの品のパジャマを持って。
とにかく私は迷惑をかけていると平身低頭だったのですが、今は同じ部署の上司ふたりで私の分の仕事をやっているから心配ないと言ってもらいました。通常業務の後に私の仕事をやってもらって、残業続きなのに。ううっ。
しかも
「こうやって仕事していると、ありがたみがわかるねえって言い合っているんですよ」
とまで言ってもらったんです。
うるうるです!!
その言葉に励まされ、
「辞めます」
という言葉は言わずにすんで、ひと月後、退院してすぐに私はパートに復帰します。
こうやって書きながら思うことはですね。会社って社会だなあってことです。私にとって、会社は社会との大きな接点だったんですよ。だから、入院すると同僚からお見舞いがあったり、言葉をかけてもらったり、心配してもらったり、安心させてもらったり。そこにあるのは人と人とのやりとりなんですね。
「単なる労働力としてだけではなく、ひとりの人間として、会社の仲間という認識で働かせてもらっている」
辛い入院生活でしたが、そう実感できた事柄でした。
だから、働いていてよかったと思ったんです。働くことが社会参加ということが、とてもよくわかります。もちろん、会社以外でもそういうつながりはもてます。けれど、私の場合は働かなければ、人と人のつながりという社会の中で生きている実感はこれほどは持てなかったでしょう。
働くってことは、お金だけのことではないんですよね。
(投稿日 : 2008/9/29(月) 11:26 日野光里.)
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